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クリーンフットパスを実施しました

2022.11.3

去る10月29日、クリーンフットパス「中宿だよりハイライトコース」を実施しました。

「中宿だより」を監修した望月勉氏を講師に迎え、下記名所を案内していただきながら道の清掃を行いました。

 

【名所概要】

大国屋:御師の建築と庭園

根の神神社:古吉田から集団移転する2年前の地主神

地蔵寺:北条からの侵攻の守りとして新屋から移設

中宿山神社:富士講から多大な援助 古くからの神社

身禄堂:富士講を隆盛させた6代教祖

梅谷家:御師胎内社の龍神像を公開

上文司家:長屋門や御師を代表する庭園

 

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集合場所とした上吉田コミュニティーセンターにて開会式を行いました。

今回のコースタイトルになっている「中宿だより」は古吉田から現在の地に集団移転し450年たったことを記念して、望月氏が中宿自治会長を務めた昨年、月に1号発行全12号からなる中宿の歴史や名所名跡を監修した冊子です。

昨年も望月氏には古吉田地域や城山周辺を案内いただきましたが、今回は移転先である御師町周辺をご案内いただきました。

 

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まず御師家大国屋(だいこくや)を訪れました。表門から続くタツミチと呼ばれる路の奥に屋敷を構えるといった当時の姿のままを残す格式高い敷地内には、檀家が奉納した石碑が並び、樹齢300年とも言われる黒松は食行身禄の娘が手植えをしたと伝えられています。多くの文化人が訪れ、貴重な資料などを残す当家は現在も宿坊として国内外のお客様を迎えています。

 

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続いて根神社を訪れました。古吉田から上吉田へのまちの移転に先立つこと2年前、1570年にケヤキの切り株に大国主命を祀ったことがはじまりとされています。

根神社を後にし東裏通りを下り、地蔵寺を訪れます。東裏通りには地蔵寺の他、西念寺、吉祥寺が並び、望月氏によりますと、戦国時代、北条からの侵攻に備え、間堀川を自然要塞としてその西側に寺を移転し守りを固めた構えとなっているそうです。

 

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地蔵寺から中宿山神社に移動します。地元郷土史家によると古吉田から移転する前かあったのではないか、といわれ古い歴史を誇ります。「山の神講」など地元崇敬者によって祭られ、毎月17日には神事が行われるそうです。

 

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本町通りと東裏通りを結ぶ通称「学校みち」を身禄堂方面に歩きます。現在法務局吉田出張所が建つ場所にはかつて見方庵(けんぽうあん)という寺院があり、その名をとってつけられた東裏通りを流れる「テンポ川」は現在も暗渠となって流れています。

 

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「学校みち」沿いの身禄堂を訪れます。富士講の中興の祖として知られる食行身禄は、1733年富士山八合目烏帽子岩にて断食入定しました。その31日間におよぶ断食を支え、最後を看取った田辺十郎右衛門が遺品を受け継ぎ、屋敷内にて祀り続けました。昭和45年に現在の地に移築され、今は富士吉田市が施設を管理をしているそうです。

 

身禄堂から歩いて程ない本町通り沿いの梅谷家を訪れます。世界文化遺産の構成資産となっている吉田胎内の神官を務めるなど梅谷家の歴史は古く、現在家屋の1階では、檀家より奉納された龍の木造彫刻を見学することができます。当時富士講の各講社は特定の御師を宿として檀家となり、様々な品を奉納し支えてきました。

 

 

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最後の訪問先である上文司家の当主は現在、北口本宮冨士浅間神社の宮司を務めており、敷地内住宅の主奥(しゅおく)は国指定登録有形文化財に、長屋門や庭園も御師を代表するものとなっています。

 

御師町では当時のままの姿を残す建物は少なくなってきているようですが、残されたものには数百年の歴史があり、当時の様子を伝える大変に貴重な物です。それを守り伝え、維持管理をされている皆さまに感謝を申し上げ、心より敬意を表します。

また今回のフットパスにおいては講師の望月氏をはじめ、ご対応いただいた皆様にこの場をお借りしましてお礼を申し上げます。

 

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回収したゴミは、可燃物20ℓ、不燃物数個、でした。

なお現在ふじさんミュージアムでは、上吉田成立450周年・吉田胎内開基130周年記念企画展「富士山登山口上吉田と吉田胎内の歴史」が2023年1月30日(月)まで開催されています。

この機会にぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

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